Archive for the マーケティングセキュリティ Category

自由ってのは欲望にやさしくすること?

11月 5th, 2006 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | no comment »

このブログの冒頭画像にも「自由に自然に『自分を持続可能』にするパーマカルチャー生活つくり」とか書いてあるけど、自由って言葉を時々思い巡らす。
自由って人によって様々な解釈があると思うけど、本当に黄金の自由を手に入れたいと思ったりする。本当の自由って何か?って思い巡らすと楽しい。
自分が自由か? あの人は自由か?
そんなことよりも、その時々で最高の自由を楽しみたいとか思う。

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ロハスな食事感覚

10月 19th, 2006 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | 2 comments »

田舎に引っ越してみて、地産の野菜を中心とした菜食ぎみの食生活をおくっている。
料理はもっぱら相方さんにやってもらっている。とても感謝。
ついでにといっちゃぁなんだけど、マクロビオティックや粗食料理の勉強を兼ねて実践しているという感じ。
そろそろ3ヶ月経つ。
何か変わったかというと、、

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ホンモノのイメージ戦略

1月 21st, 2006 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | no comment »

世の中には実に多くの「ホンモノ」の技術や発明が存在している。
そんな一端をご説明いただいく機会を得た。非常に感動した。多大な情熱を持って、現代の科学や伝統の知恵から本当に素晴らしいところをミックスして発明している。
農薬で汚染された土壌を改良したり、本質的に体にいい水を作り出したり、ゴミを炭化してエネルギーにしたり、自然エネルギーから電力を起こしたり。

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ロハスにみる贅沢とは

11月 8th, 2005 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | one comment »

贅沢を求めてやまない現代風潮ですが、なんとなく贅沢が手に入りそうな社会体系にみんなは躍起になってがんばる。
しかるに贅沢ってどんなことなのか。「貪欲に贅沢を求める」という一文に賛成する人、嫌悪感を抱く人とそれぞれだと思います。ロハスという言葉自体に胡散臭さを感じるひともいるのですから。

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マーケティング セキュリティ

11月 3rd, 2005 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | 2 comments »

自分らしさとか、自由とか、そういったものを追求するときに如何に社会的コントロールを排除するかに意識することは有意義である。
もっとも身近に顕著なコントロール元は、広告である。
広告やマーケティング活動によって、様々な欲求や必要感を盛り上げられてしまう。このようなマーケティング戦略から自分自身を守ることをマーケティング セキュリティという。
マーケティング セキュリティを意識できるようになる最も手早い方法は、マーケティング本を数冊読んでみることだ。マーケティングというヒトくくりではいい表せないが、世の中のマーケティング活動は、様々な方法を推奨し、心理的要因をうまくつけ込んで来るテクニックが乱舞している。

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ロハスハイエンド

7月 13th, 2005 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | no comment »

ロハスが流行!?
もしもあなたが、
今の生活のままロハスっぽくしたい! とか、
今の生活にロハスな要素を取り込みたい! とか、
思っているのであれば、それはあなたが本当に望んでいることから恐怖心によって妥協させられている感情である。
いや、そうではないということであれば、それはそれでスローライフ雑誌やロハス雑誌を見ながらオススメ商品を買えばいい。でもそれは、今まで買っていたA店からロハスっぽいB店で買い物をすることになっただけじゃないことを祈る。
流行的に消費行動がコントロールされているのならばロハスは単なるキャッチフレーズだ。でもそれがロハスへの入り口となってくれればいいとは思う。
ただお願いだ!入り口だってことにくらい気付いてくれ・・
もっといいもの、キモチいいもの、最高の体験を
ロハスユーザーはとにかく貪欲に本物を見極めれるようになりたい。流行ではなく、自分が自分であるための理由が本物になること。
自己開発からパラダイムシフトに気付き、自分を薬漬けにせずピュアな体にし、そして他人や自然や地球と気持ちいい体験を共有する。そこまでくるとロハスハイエンド!もうそこには感動と感謝以外になにもない。本物の気付きとは「ありがとう」としか言えない状況にある。
ロハス発祥者は、自分たちの経験が宗教的にならず、迷信的にならず、そしてスピリチュアルカルチャーなオルタネイティブに沈まないように、社会に送り出そうとした。そう市場経済社会でそのフィールドを作り出そうとしたわけだ。
だから流行でもいいんだけど、消費者はそれが流行ではないことに気付きながらロハスになりきることが重要だ。
これからの2極化
俗な領域とロハスな領域はこれから2極化していく。
全体が改善に向かうことは無い。俗でスピードな領域は、破滅すれすれまでその回転を速めていくだろう。快楽は頂点を極め、欲求が満たされる歓びを謳歌し、そして永遠とも思える刺激への欲求はやむことをイメージできない。
ロハスな領域は、感動と感謝のパラレルワールドに踏み込み、昇華されることがエンターテイメントとなり、スパイラルに新しいバイブレーションを体験し、新しい人々を巻き込んでいく。本当のスマイルを誰でも発信できるようになり、言語は無くなる!
このどちらもが存在しているのが21世紀の地球!
権力者も資産家も2極化していく。
しかしこれら対等のものが戦争をすることは無いだろう。
もしかして、これら対等のものどおしは見えなくなるかもしれない。
これら対等のものどおしがすれ違うことはなくなるかもしれない。
そして言葉も通じないかもしれない。
お互い見えなくなるかもしれない。
どちらに行ってもキモチイイ!

パーマカルチャー的ビジネス構造

7月 9th, 2005 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | one comment »

サスティナビリティだのロハスだのと、そのマーケティング手法やビジネス手法に流される前に考えておきたいことは、その根底となる哲学(コンセプト・考え方)がどのように変化し、将来にわたって良くなっていくのか。
持続性社会(サスティナビリティソサエティ)が必要だと、右肩上がりばかりを追い求めてきた反省も垣間見られるようになってきたビジネスの世界も、やはり右肩下がりを受け入れるような勇気はまだなさそうだ。
ただ、それが下がりつづけない。もしくはゆるやかな右肩上がり、波そのものが水平を保ちさえすれば、、、とかそんな感じはする。
ただ根本となる哲学を受け入れるとそれらの恐怖がバラ色の将来を垣間見せてくれる可能性があるのがパーマカルチャー論理だと感じる。
■三層の利他構造
それがパーマカルチャーや自然農法といった手法の中に見出されるこの三層の利他構造がすばらしい。
つまり自分の摂取するエネルギーがあって、自分があって、そして排出するエネルギーがある。この3つの3層が、他のモノと結びつきループしていく。
つまり排出されたエネルギーが他者の摂取するエネルギーとなりループするという考え方。
概念的にはわかりずらいけど、結局無駄が無いという視点がある。つまり捨てているもの無駄に処理しているものが、他のエネルギーだったり利益になったりする可能性があるという発見が持続性社会のキーポイントとなる。
リサイクルというと一番ピンと来るかもしれないが、リサイクルが第一世代だとすると、このループする概念はわれわれ全てのビジネスや労働、趣味、活動において体系化されることで、コストダウンや余暇の増大、そして、精神的自由の増大につながる可能性があると感じる。
■効率化の本質
一見効率化が進んでいるように見える社会も実は非効率に動いている。それは各固体、各組織、各コミュニティ内における効率化が進んでいるだけで、それらをとりまく関連性や社会性といった広範囲においてはまだ非効率になる。
実際この「非効率」や「無駄」といったものが資本主義社会の原動力でもあるから、資本力のある人や組織が、そのような社会的効率化を望むはずもない。
ただ、ITの進化はこの社会的効率化を叙叙に達成しようとしているかもしれない。ある著名なコンサルタントはIT化が資本主義を潰すと言われている。
取引関係や依存関係、そして顧客との関係。こういった組織をとりまく相手の効率化と自己の効率化のシンクロが達成されることが、上記の三層の利他構造を達成することになる。
一見困難な感じがするが、お互い全てがWinWinWinになるのがサスティナビリティの基本となる。したがってそれを追求することは、とても大切だ。今までの無駄がいったい誰のエネルギーとして活用されるのだろうか。
これは決してお金の流れだけではない。労働力や企画案や営業、消費行動、そして家族計画にいたるまで活用できるはずだ。
ただ事例もないし、それを体系化してくれるコンサルタントもいない。
それを知っているのは誰か?
実は、自然農法実践者やパーマカルチャリスト。
彼らはそのノウハウを自給環境において実践済みだ。それを社会的に拡大解釈する翻訳者の到来が求められているのかもしれない。
結構将来は明るい!

自分が自由になるために自然を自由にする

6月 28th, 2005 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | one comment »

自然を拘束すると、自分も拘束される
パーマカルチャーを習っていると、その自然の営みとどのように共存するかという視点がなんとも素晴らしい。と書いてみると、なんだかエコ推奨者の勝手な持論展開と思われそうだが、あまり詳しく書く気力もないし、とにかくそう感じているとだけ伝わればいい。
つまり、自然が自然であることが、自分達の労力を減らしてくれることになる。
または、自然の労力と自分の労力との共同作業にするといった考え方。
例えば畑は、雑草の世話や水の世話、成長の世話と、人は大変な労力をそこに使うわけだけど、本来植物も勝手に成長して子孫繁栄に努める生き物なので、世話をせずとも勝手に成長するわけである。その成長できる環境を整えてあげるだけで、人は厄介な労働のほとんどから解放されるわけだ。
そう、野菜は虫に食われるし、収穫率も高くない。
でも農業が収入源でない限り、それは問題にならず、収穫したものを食べればいいだけのこと。しかし、虫に食われた野菜は勝手に肥料になって来年の種をそこに撒く。そんな営みの循環の中に生活することが、楽チンなわけである。
自然の解放をコントロールするテクニック
太陽とか風、雨や小川等の水の流れ、そして動物や昆虫の営み。
それが全てエネルギーである。少し工夫すれば、電気・ガスと同じような、エネルギーに化ける。
自然を解放するテクニックとは、先人から伝承されてきている知恵を学び、自然界に依存するということかもしれない。
住環境を限りなく、自分主体にコントロールしようと、電化製品等でボックスに収まっているような生活でなくても、暑いときには涼しくなる、寒いときには暖かくなるといった自然の作用も工夫をすれば活用できる。
自然は、そうやって様々な効能を我々に与えてくれる。
全ては商売のため
その便利で快適な自然との共存が失われつつある原因は全てビジネス主体にある。そう、工業製品の最大のライバルは自然だった。巧妙なマーケティング・宣伝活動において、無言の自然に大差で勝ってきた。
自然が便利で楽チンということがみんなに知れ渡ると、その会社の製品が売れなくなるわけである。じゃあ、どうするのか。考えなくてもわかるだろう。
しかし、自然が無言のままだまっちゃいない。
テレビやインターネットを通じた宣伝活動をしないでも、我々とつながっている最大のネットワークがあった。そう我々自身も自然体であったという事実である。
感じてしまう。
インスピレーションかもしれないし、シンクロニシティかもしれない。
地味な宣伝活動である。
みずから
自ら(みずから)。この「自」という感じはどういう意味なんだろう。
自分、自由、自然、どれにもついている。
これらはきっと同じような状態を意味しているんだろう。
個々が全体となって自となる。そんな感じ。

ロハスに移行という自由

6月 20th, 2005 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | 2 comments »

パラダイムシフト
自由という言葉の意味が、より輝くシチュエーションがロハスだ。
自由が「解放」や「自分勝手」「しがらみが無い」といったネガティブな発想からもう少し賢くなり、「気付き」や「思い出す」といった要素がある。
気付き
「気付き(Awareness)」とは目覚めるとか、発見といった意味を含み、自分の固定概念や、自分の殻、自分の枠組みといった、自分自身が勝手に妄想していた限界を突き破るという体験そのものだ。
人はあらゆる場所に営み、様々な知恵をもって、多くの価値観をもっている。自分が勝手に作っていた殻に気付いて、発見して、その外側を見ようと思うこと、意識することに目覚めれば、それ自体が自由でハッピーだ。
そう、「こうしなければならない!」と思っていたことは、「そうではなかった!」のだ。
少なくとも「そうではない」という価値観がこの世に存在している。
それを受け入れるのか受け入れないのか、どちらを選択するのも自由だ。ただ大切なのは、「選択枝が存在した!」ことに気付くこと。
思い出す
人は生きているうちに、様々なヒントを得ている。それは生まれてきたときから始まっている。子供の頃の記憶や行動、欲求には、無垢なアンテナが受信した「生きるヒント」が詰まっている。
安定した生活や、社会的あたりまえの生活、無難な人生。それを選択するのもいい。でもそれが物足りないのであれば、「思い出す」ことから始めよう。そう「そうしたかったんだよ!実は・・・」そんな記憶がたくさん詰まっているはず。
そして、もうひとつの大切な「思い出す」は、自分が人であるということ。
社会生活では、経済的にも心身的にも様々な不安を背負って生きている。しかし、そのような不安は人としてもともとあったものだろうか!?
もしそれは違うと感じたのであれば、その不安は幻想かもしれない。もっと自然体に生態系の一部としてのヒトとして、あたりまえに生きていける。そんなストレスフリーな生活を思い出せないか!
DNA–そう、そこに刻まれているのは、ヒトとしての自然な記憶と知恵。最近取得した知識ではなく、ヒトにももともと太古からの知恵が刻み込まれている。それを思い出す手段がこの世にはある。そしてそれを思い出させてくれる人が大勢いる。
なぜ、思い出せなかったのかは、それを意識していなかっただけのこと。
今からそのアンテナを張ってみよう。そうすると「思い出す」きっかけは続々を目の前を通過する。そしてそれはなんとも楽チンで、ハッピーで豊かなものだろうか。
頭だけで考えずに、DNAの知恵をもって、感性で選択する。
そこに新しい意味での自由がある。素晴らしい!
つづく・・・

ロハスに移行という考え方:1

6月 15th, 2005 Posted in カルチャークリエイティブ, マーケティングセキュリティ | no comment »

マインドリゾートのテーマは、超俗社会で生きてきた人が、超ピュアで素直な自然人に回帰するということである。
どちらがいいということではなく、それを志した人、志したい人が多くなってきているという現実において、様々なしがらみや恐怖、安心に後ろ髪を引かれつづけないようにすればどうすればいいのか!?ということをまじめに考えたいわけである。
一見アウトロー的な解釈であるかもしれないが、それは俗社会から見たアウトローであり、人として見た場合それがピュアで自然ではないだろうかと思う。

一番簡単に気付ける方法はやはり旅だと思う。旅行ではなく旅。
自分で決めた自分だけの旅において、自分の社会と違った社会で生きる人に接することが、自分の社会のいいところと悪いところを、浮き彫りにさせてくれる。
それをどのように解釈するのかは人それぞれだけど、共通するところは、変化というものが存在し、それを受け入れるのか入れないのかの選択をしなければならないということかもしれない。
これはつまるところ自己探求である。
そうロハスに移行するには、まず自己探求において、素直な自分を発見することが、自分に変化を受け入れさす安心と自信を与えて、モチベーションをアップさせることができるからだ。気付きという意味においては、旅と共通する部分でもある。自分探しの旅と言うこともあるけど。
自己探求というのは、自分の価値を明確に自分で把握するという行為に帰結する。自己嫌悪ややりたいことがわからない、さらにはニートや無気力な状態、そして身体的ハンディ。反対に高キャリア、何かの達人、独立心旺盛な人と様々な人に同じレベルの価値というものがある。
それを発揮するということは、自己探求後に、新しい「生活の方法」と「働きかた(稼ぎかた)の方法」を選択することに繋がる。
自由
これらの選択の自由が自分にはある。少なくとも今の日本の社会において幸福なことはこの選択の自由が確かに存在しているという事実である。
その選択の自由を経て、「精神的自由」を獲得し、実際の行動によって「時間的自由」と「経済的自由」を手に入れることができる。
この自由のサーフィンこそ、「ロハスに移行」そのものの過程である。
フリースタイル
自分にとってのフリースタイルを生み出すことは簡単でもあるし、困難でもある。しかし結局それを簡単にするのも困難にするのも、その原因は自分にしかない。
捨てたり、変化させたりするには、犠牲があったり、恐怖があったり、根性が必要であったりするわけで、でもそれらは結局お化け屋敷と一緒だ。
少し経過すれば、出口に出る。
お化け屋敷と違うところは、出口に出たときに、また同じ現実世界に出るのではなく、違った世界に放り出されるということである。それが楽しいのか楽しくないのかも個人の問題であるけど、結局そのような冒険がエンターテイメントであり、フリースタイルの楽しさであり、そして目的でもある。
つづく・・