Archive for 1月, 2005

聖なる予言

1月 30th, 2005 Posted in Mental, ミスティック | 5 comments »

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< ?php } ?>ジェームズ レッドフィールド (著), 山川 紘矢 山川 亜希子 (翻訳)
聖なる予言をとりあげるのは、結構勇気のいることだとか思った。ただロハスというテーマでライフスタイルを作る上で、スピリチュアルな事柄にも多少の傾向が必要であることは世界的概念から言っても通常的であり、特に何かに傾向していると非難されるべきことではない。
実際的な自己啓発や自己探求、セルフマネジメントを試みてきた或いは、試みたいと思われる人にとってスピリチュアルは一種の占いや魔法じみた感覚として受け取られる傾向もあるが、聖なる予言は、預言書ではない。ひとつの生きかたの知恵として受け入れられるとよろしいかと思う。
実際この本は世界的にベストセラーとして成功した。それは一般の人に受け入れられやすい内容に仕上がっているからだと思う。神秘的だが宗教的ではなく、狭義的でなく物語風に書かれてあるから、とても親しみやすいと思われる。

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なまけ者のさとり方

1月 19th, 2005 Posted in Mental, ミスティック | one comment »

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< ?php } ?>タデウス ゴラス (著), 山川 紘矢 山川 亜希子 (翻訳)
バイブレーションってご存知ですか? 直訳すると振動となりますが、振動=波、すなわち○○波(電波、振動派、電磁波、音波)といった目に見えないなんらかの信号や意識や状態、エネルギーが伝わったり、発信したりする信号とでも説明いたしましょう。
では、ここで言うバイブレーションの種類や質についていうと・・・

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TQ 心の安らぎを発見する時間管理の探究

1月 15th, 2005 Posted in Real, お金・時間 | 3 comments »

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< ?php } ?>ハイラム・W. スミス (著)
この本は実にセルフクエストと親和性のある方法を解説している。
TQとはタイムクエストの頭文字で、時間管理を解説した本ではあるが、そのテーマが単なる効率性や生産性ではなく「ココロの安らぎ」に置いている。
そう時間のつかいかたが自分のストレスにも関係してくるから・・・

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穏やかなニュース・ポジティブメディア

1月 13th, 2005 Posted in セルフクエスト | コメントは受け付けていません。

昔に穏やかなニュース・新聞とはどういうことかという論議をしたことがある。
ニュースというと、殺人事件、事故、幼児虐待、収賄、汚職等々、刺激や噂、不幸を中心に形成されがち。またそういったものがより印象に残ってしまう。
それを毎日きっちりご丁寧に届けてくれるものだから、それを新たに実行しようという発想が誰かさんの心に芽生える。
では、その逆を行くポジティブなニュースメディアや記事媒体とはどういうものか。
ニュースや新聞でそれを探すと、季節の話題、祭りやイベント、奇跡の生還、人助け英雄、地域のたわいのない話題とか。いや実に面白くない傾向が強い(笑)
人のこころを強制的にこちらに向かわせることもできないし、印象にも残りにくい。
人は他人の不幸を喜ぶ傾向がやはり強いのだろうか。。
そんな時、最近のblogブームでニュースを含めた日記コラムのページ数とトラフィックが急増している。このblogとニュースの違いというと、事実を淡々と伝えることを前提とするニュースと、感情あらわに発言されるblogという側面がひとつある。
この文体に感情が存在するというメリットが、上記のポジティブメディアを構成するヒントがあるのではないかと思う。
情報を追うのではなく、感情を追う。感情的文章は、人をその同等の感情にいざなう傾向がある。だから意図した傾向の感情で書かれてある日記コラム、ニュースを読むことでポジティブメディアが形成されるのではないかと思った。
記事の内容が重要か?もしくはそうではないのではないか?
感情的文章というのは、パーソナリティをあらわにしたということになり、人気blogではやはりその人の人間的魅力から来るものが多い。それこそがポジティブメディアの原点であると予感する。
スローライフに移行する先人の知恵と秘密では、そういったコンセプトを展開できる鍵があるように感じてきた。こちらは、隔日で更新しているのですが、全国からスローライフに沿ったblogを集めてきてblogサーフのポータルとして機能することをテーマとしている。
なので、こちらは前記のような直接的な「ポジティブメディア」というコンセプトではなかったので、若干のズレはあるものの、blogをサーフする時間をポジティブにしたいという思いは共通である。
そこから情報を得るのか?それでもいいけど、他人のまったりとした日常的感情や、それを考えた思考過程、またそこに行けた知恵、そんなものを感じ、そしてその感情を一時受け継ぐ、そして、毒された情報にさらされた5感をしばし、休息させる。と、その時間の価値があがるのではないかと信じている。
そんなblogを探してくる作業ってのも、人力なのでそれなりに時間がかかりるのですが、コンスタントに続けられるのは、探し出す記事に毒が無いからストレスに直結しないということも分かってきた。
「スローライフに移行する先人の知恵ーメルマガ版も
この検索ノウハウと構成作業をうまく再構築すると表題の「穏やかな新聞」が出来上がるのかもしれない。穏やかな新聞とは、穏やかな時事ネタを淡々と伝えるのではなく、穏やかな人の日常から感情をリレーするような行為(体験)をもって実現可能になるのではないでしょうか。

中毒で健全になる

1月 12th, 2005 Posted in セルフクエスト | コメントは受け付けていません。

人は何かに夢中になる。
そして中毒になることもある。
それはその夢中になっていることに何時間も割き、毎日繰り返し、そして経験を積み上げ上達したりエキスパートになったりする。
面白いものをどんどんと考え出し、それをテレビ番組にしたり、ゲームにしたり、ネットコンテンツにしたり。作り手というコアユーザーがまず面白いと思うからそれに追従して人々を巻き込む。しかしこれほど多くの人がコンテンツに中毒になるのだから、それはそれで難しいことではないんだろう。
今、考えたいことはそんな集中力が得られる中毒コンテンツから、本当のメリットを享受でき、人格や精神衛生を向上されるような手法はないかということ。
それに接する時間と機会が、人や社会を良くするということ。つまり中毒コンテンツが一時的な楽しみと後に何も残らないものでなくて、確実に身になるものってないのだろうか。
事例はまだすくないかもしれない。
例えばダイエットや運動不足解消になるビデオゲームだとか。
語学が習得できるバーチャルシネマ(参加型シナリオ)だとか。
自信とモチベーションをアップする日記(blog)だとか。
そこに学習や訓練的な要素があるんだけど、それを退屈と感じずに中毒になるような流行こそがこれからのテクノロジーのロハス的解釈であるように思う。
テクノロジーは人々に便利を提供し、記憶を助け、知らないことを教えてくれるようになったが、その反面多少人間的機能低下という面も指摘されてもう短くはない。
自然やエコロジーといった非文明的要素が注目されつつあるも、テクノロジーを放棄することは非現代的である。しかし便利で楽チンという欲求を満たされたからこそ、次のステップにテクノロジーを進化させる潮流は、ごう自然にはじまっていると思う。
先駆者はいろいろなアイディアを実現化してくるだろう。
そして、そのコンテンツにまたもや中毒になってしまう人々が、どんどん賢くなってしまう未来が素敵なような気がする。
中毒と書くとネガティブだが、要は集中力とモチベーションを高める要因。
それは楽しくもあり目標が分かりやすくもあり、そしてそれがアイデンティティに繋がるもの。難しいけど、考えなくていいもの楽チンであるもの、そしてコンビニエンスであるものが今の中毒の3大要素であるから、そういう楽に流れてしまう自然な姿にマッチしながら何かあたらしいテクノロジーの進化形を早く見たいものだ。そしてそれは最新技術ではなく、既存技術の新解釈である気がする。そうすでに身の回りにあるものから生まれるはずだ。

スピリチュアルで探求するか<->セルフマネジメントを極めるか

1月 10th, 2005 Posted in セルフクエスト | no comment »

20世紀後半でスピリチュアルというと、どうもオカルトチックであったり新興宗教の匂いがぬぐいされなく、でも「時代は我々の主張を受け入れてきた」というような風潮と宣言が多かった。反面セルフマネジメントはというと、自己啓発という言葉がぴったりのちょっと厳格で計画的で規律正しい印象が多かった。
前者でいうと、ニューエイジ系だとか、チャネリング、世紀末予言等、後者で言うと、PHP出版系やスティーブンコビィー氏(7つの習慣)のようなもの。
セルフクエストを更新運営する際に気にかけていることは、これらのどちらに傾く分けでもなくバランスを考える。なぜならそれは世の風潮であるからだ。スピリチュアルはオカルトでも宗教でもなく、自然現象・エコロジー的環境的な意味も含めて、生態系の一部である人間を捉える視点となりつつあり、セルフマネジメントも規律的なことだけでなく、もっとフレキシブルな全体の中の個を見つける主体性を強調してきているように思う。
両者の世界観が融合し始めているというと分かりやすいのかもしれない。
科学的な根拠と解答に安心することがつまらなくなっている。もっとミスティックなものにもやっぱり人はひき付けられ、個々人の主体性を重視したセルフマネジメントは、テクニックだけでなく、メンタルケアとして必要なものとなりつつある。
つまり自分探し(セルフクエスト)というものが日常的なもの、もしくはエンターテイメント・楽しむものへと価値がシフトしてきていると思う。
しかし、ここまで言い切るにはまだ時期早々だとも感じるけど、この感覚の有無で2極化が進行しているようにも感じる。
ライフスタイルが多様化し、選択枝も多くなり、迷いも多くなり、自由も多くなった。
だから人は自分のセルフクエストが必要になってきている。自分の選択が正しいか間違っているかではなく、どちらが楽しいのかという視点であったり、どちらが本来の姿なのかとか、いわゆるどうすれば天然でいられるかといった価値観であろう。
考える余地が増えた分、人は迷う。これまではなんとなく将来の線路が見えていたのに、実際はそうではない時代になってきた。線路がある人が幸せなのか、そうでないのか、そんなことより、線路はどうやって引くのか、線路に変わる道しるべをどう打ち立てればよいのか。
これに解答を見つけるために、自然界に目を向ける始めた最近では、あらゆる事例と思考方法、そして伝承と太古の知恵、ミスティックな事象・統計学から見る成功哲学。それにマーケティングと資本主義学。これらのバランスが現在のセルフクエストになる。
例えば書籍分類でいうと、ここにある図のような。
魔術や絶対成功する哲学ももう相手にされない。
でも神秘感覚と成功(失敗)事例は、確実にミスティックとマネジメントの融合から人々を魅了している。成功哲学も金持ち学も占いも、実益ではなくただ「夢」を与えるビジネスだということに気付き、夢を見せられているだけではなく、確実に現実化するには、セルフクエストで得られる直感と自信が必要だろう。
ともあれ、現状は非常にエキサイティングで面白い。
人が自分をどうコントロールするのか。努力なのかアイディアなのか楽しみなのか。そんなことよりも、終わりの見えないトランシーな将来への過程をうまくサーフィンする、体と心のバランシングに快感を見出す、そんなにやけた国がここ日本じゃないか。
その究極には、人は信仰に回帰すると思う。
さて何を信仰するのだろうか。神だろか、先祖だろうか、自分だろうか。その全てであろうか。でも信仰の意味するものが直感的に人々のDNAに刻み込まれている。そこに頼るのではなく一体となるような感覚が信仰になる。これは新しいことでもなく、大昔からの本来の天然な姿ではないだろうか。
3大宗教という信仰の対象が林立した時代を経て、宗教が生活から消えつつある日本では信仰の本来の意味を捉えなおせる環境が整いつつある。エコでもスローでもセルフケアでもその先に信仰がある気がする。
祈れ!

それがぼくには楽しかったから

1月 10th, 2005 Posted in Real, 計画・目的・行動 | 4 comments »

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< ?php } ?>リーナス トーバルズ (著)
コンピュターのフリーOSである、LINUXを開発した、リーナス トーバルズさんの自叙伝です。まさに「おたく」である彼が最初にUNIXに出会い、そしてオープンソースとしてのUNIXとしてリーダーシップを発揮していく過程を彼自身の思いを込めて書いている。
実に感情的描写が多く、例えば、大好きで夢中になっているものを持っている人であれば、プログラマーを問わず共感するだろう。
原題の直訳では「楽しむだけで充分だ!」となる

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希望格差とは

1月 9th, 2005 Posted in セルフクエスト | no comment »

希望格差だってなんだかヒドイ言葉だなぁ。
希望を持つ人と、そうでない人の格差が広がっているということらしい。
希望というのはあくまで、個人の理想や想像であって、それに対して何の責任もないし、勝手気ままでいいはずなのに、それに格差があるって表現するのも、なんかいただけない。
自分勝手にどんどん成功を夢見る人がよくて、将来に絶望を抱いているもしくは、希望を見出せない人がよくない的に聞こえるけど、ま、どちらの言い分もほっといてくれってのが正直なところでないかい?
希望が様々なモチベーションに繋がるかもしれないけど、希望とは無縁で今を生きるを実践している人もいて、この言葉自体が資本主義社会的成功を前提としているような発想から生まれており作者の狭い社会観を感じてしまう。
自覚していない希望の絶大なパワーを見よ!
と、先月に別のblogで書いたコラムだけど、希望すること自体に、「勝ち組・負け組」が設定されたとして、自分はどっちだ!?と考えてみるのもいいかな。
もし負け組にいるとしたら、それは努力やアイディアで克服するものではなく、心がけの問題ではないだろうか。その心がけの問題が負に傾いているとしたら、自分自身にもいいはずはないので、希望のもち方をいろいろ探ってみることがいいんじゃないだろうか。
僕は希望が無いことは無いと思っていて、もし悲観的に希望が無いと感じていても、先に書いた、「自覚していない希望」ってものの存在を信じている。それは誰でも持って生まれたものであり、そこからモチベーションを引き出せることに成功したのなら、全てがうまく歯車がかみ始めるような気がする。
希望格差とは、ある意味、「心の上向き、下向きの格差」のことを言うので、もし下向きであれば、こっそり上向きに変えてみよう。大丈夫、誰にも気付かれないようにこっそり希望を思い描いてみよう。
例えば今の状況が希望をも摘み取ってしまうほど悲惨な状態だとしても、悲劇を演じているほうが楽だとしても、何も考えないほうがいいと思ってみても、希望がありえないとしても、無自覚の希望の存在だけは信じておこう。

億万長者が教える!億万長者になりたければ、貧乏になれ!

1月 9th, 2005 Posted in Real, お金・時間 | コメントは受け付けていません。

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< ?php } ?>杉崎 仁志 (著)
最近はミリオネアマインドを解説する本が増えました。もっと身近に解釈するには、「お金持ちになるには」より、「お金に困らない生活をおくるには」というほうがいいかもしれません。お金持ちでない人が考えるお金持ち像ってものには、どうもさまざまな誤解が生じるようで、そのとおりのお金持ちになったとしても「悪銭身につかず」状態に陥る可能性があります。しかし今よりすこしいい生活とか、家族が豊かに暮らせる状態とか、充実感のバランスがとれた生活とか、そういうものが永続的に続く感覚ってものを重要視することがロハスっぽいですよね。

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情報断食とは

1月 4th, 2005 Posted in セルフクエスト | コメントは受け付けていません。

「情報断食」という言葉があります。
この情報過多の時代、情報のインプットを無差別に受けることなく、意識して選別する必要ってないでしょうか?
また情報のインプットばかりに目を向けないで、アウトプットもきちんとしましょうと、そうでないと情報肥満になります。

食と同じで「お通じ」が良くないと、精神衛生的にも良くないようです。

情報断食をすると、アイディアを煮詰める時に目移りしないので、早く形にできるメリットがあるようです。アイディアはぞくぞく沸いてきたり、新しい情報によって掛け合わされ新しいアイディアに進化したりします。しかし、これがなかなか形にならない。改良改良で。
思うに、アイディア自体にはまだ価値は無いと思っており、アイディアが形になった瞬間にやっと0地点になる。その形にするという作業が情報のアウトプットの一つの形式とすると、
このインとアウトをうまくバランスよくする必要がある。
と、そういったことを説いた言葉だそうです。
体験的に、「情報断食」をすると自分の中の情報(知識や知恵)がぬくぬくと元気になるそんな瞬間を味わうことができて、モチベーションアップに繋がったりしました。
ひとつのことに集中していたりすると、五感から吸収されるあらゆる情報が、そのアイディアに掛け合わされて複雑に発達していきますが、この過程で膨らむ、様々な要因や可能性は、比例して、作業と実現、実行力に支障をきたす恐れもあり、それが計画倒れになるということも少なくありません。
この価値観は情報サービス業の人にはちょっと理解困難かもしれませんが、そうではなく、あれもこれもに囚われないで考えの本質的なところを見失わないというところに繋がりそうです。「いいたいことはただ一つ」それだけで本来はいいはずだから。
要するに「小さく生む」には、意外と情報断食が効果的だったという実体験です。
1週間でも情報断食をしてみてはいかがでしょうか。