消費者からの脱却

消費者
聞きなれた言葉だけれども、消費者とは何か。
経済圏内で生産されたものを消費する、つまり購入して使用する人を消費者という。
では消費者でない人というのはどのような人だろうか。
生産者?まぁ、そうなるだろうが、その生産者も別の面では消費者となる。
おそらく自分もあなたも消費者だ。
しかしこの消費者という枠にはまってしまい過ぎてはいないだろうか。


今の経済社会圏内では、消費者であることで生きていける。
消費者のエネルギーはお金そのものだ。お金のために自分の人的エネルギーを注ぎ込む。それが生命活動となっている。
しかしこれが優れた仕組みなのだろうか。
何を疑うべきかというと、このサイクル自体が一定レベルの生活を保障されるだろう(厳密には保障はされていない)期待を持ってさまざまな犠牲を背負っているということ。それは幸せとか楽しみとかそういう人としてポジティブな面の犠牲をも含む。
消費者である以上、お金に依存することになる。
お金でなんでもできるけど、お金がなければなにもできないとも言う。
消費者でない生産者とは、自給民のことだ。
自給とは自分でつくること。消費ではなく、生産。
今まで消費してきた、食料、衣料、住宅、エネルギー、娯楽、これらもみんな生産し自分で使う。そんなことが可能!?
そう疑う前に考えてみよう。人として考えてみよう。
人は全員が経済圏内の歯車ではない。個性がある。歯車にかみ合わない優れた人たちもいる。自分で歯車を回して、自分の生活圏内でかみ合わせる。
自分だけの力ではない、自然や地球といった仲間を得ている。
そういった原点を一度見直し、自分自身にも当てはめてみよう。
可能性を考えてみよう。面倒ではない楽チンだ。そのほうが楽チンだ。
消費者として振舞う技を磨こう。
消費者として振舞う技とは、自分が消費者にずっぽり溺れないで、メリットあるときのみ消費者としてお金エネルギーを使う。
必要なときのみお金エネルギーを使う。
だからメリットだとか必要であるということを自分で考え選択する技ということになる。
何でも作れる。
商品のようにキレイで便利でなくても、必要範囲で使えるものが人は作れる。そして自然も手伝ってくれる。それがロハスだ。持続可能とは、自分がつくれる知恵をもつことで、心身と生活を健康に保つことができるようになること。持続可能を消費できない。例え実質消費できたとしてもそこには幸せがない。だから厳密に持続可能ではない(不幸が好きな人は別だが)。
持続可能な生活を考えるとき、つまりこの「消費者」という枠がわかりやすい。
自分がどのくらい「消費者」であるのかを考えることが、とてもわかりやすい指針だ。
「消費者」でないときの自分を増やそう。
お金を介さない他者や自然や社会との歯車を回そう。
きっとおもしろい!

This entry was posted on 金曜日, 8月 24th, 2007 at 1:50 PM and is filed under カルチャークリエイティブ, ココロの思考記録. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

One Response to “消費者からの脱却”

  1. たくま より:

    そのとおりだと思います
    「消費者でないときの自分」という言葉が気に入りました。自立した人間の深みを感じます。

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