「正しさ」を主張しない

自己探求は、様々な発見がある。
そして自分が正しいと思う事が確信へと変わっていく。
世の中のルールや、自然科学、仕事の方法論から、人間関係。
はたまた道徳的なことから、技術的な作法まで。
自分が正しいと思ったことが確信に変わると、自信を持ってそれを行動できる。
そして自己実現へと突き進む。
しかし、自分が正しいと確信したことは、所詮、正しいとは限らない。
このことが落とし穴だ。
自分の立場や思想においてそれが正しいことであるとしても、多様性ある広い社会では、全てが正しくもあり、間違いをも包括している。それはそうとして、注意を心にとどめておきたい点がある。
それはその正しさを主張しすぎないということだ。
自分が正しいと言うと、相手は相対的に、「間違い」者となる。
ここに争いが生じる。
環境においても、和平においても、政治にしても、マーケティング活動においても、これが正しいと相手に主張するとそれは争いとなる。説得し納得させようとする攻撃によって、相手が防衛本能を発揮させると、それは戦争になる。
そもそも「正しさ」を主張され自分が「間違い」者であるかもしれないという不安がよぎると本能的に防御にでる。相手の「間違い」探しが始まり反撃、「いや、そうではなくて・・・」と論争が始まる。
この論争が必要な時もあるかもしれない。しかし、無くてよい時もある。お互いが納得できない、折り合わないことは普通に存在する多様性社会なのである。そのことを心に留めておくと、相手の「間違い」ではなく、「多作法」「他様式」の存在を黙認し、「わたしはこう思っているだけです・・」と主張ではなく、思想を述べるに留めることが賢い選択かもしれない。
「負けず嫌い」や「闘争本能」といった感情(もしくは性格)があれば、「主張」が始まりやすく、相手を「説得」させる、もしくは「言い込める」ことで優越感に浸りたい人も多い。それはそれで「わかりあう」ことではなく、単に勝ち負けの世界である。
多様性社会は、「分かり合えない」ことが多い。そして「分かり合えない」は敵同士ではなく、「多様」という「共存」できるはずの社会になっているはずだ。
相手は環境を破壊しているのかもしれない。相手はビジネスに傾向しすぎているかもしれない、相手はルールを違反しているかもしれない。しかし、それは環境破壊しているかもしれないが、他にメリットがあるかもしれないし、ビジネスに傾向しているかもしれないが、それで助かっている人が多いかもしれないし、ルール違反かもしれないが、道徳的にみて正しいかもしれない。
多様性とは、完璧主義では測れない。正負が相対的に共存し、自分の主張も正しくもあり間違いをも含んでいるという事実だけを謙虚に受け止めなくてはならないだろう。
落ち着いて、冷静になれば、そうかもしれない。いやそう思うのですが。

This entry was posted on 火曜日, 11月 10th, 2009 at 9:33 AM and is filed under セルフクエスト. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

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