思い通りになるとは限らない自己実現

自己実現は、必ずしも思い通りにはならない。
したがって実現に気付かない場合もある。
これは欲求の願望と本質的な願望の相違からくるものです。
例えば、


サッカー選手になりたいという願望があり、それを夢見てがんばっています。
しかし本質的な願望はなんなのでしょうか?サッカーをすること、サッカー選手になることに願望があるのでしょうか?
以前ワールドカップを見て、サッカーに感動しました。華麗なプレイを自分自身もと思った方も多いはず。
しかしこの願望の発端は、単に衝撃的な瞬間に出会ったからではありません。
何か幼少の頃から続く、個人的趣向があったために、そのトリッキーな瞬間プレイに感動をして、サッカー選手になりたいと思ったのです。
しかしながらボールが瞬間にパスされてタイミングよくアクロバットのようにゴールされ、聴衆が爆発したように沸く、この感動的な状況の抑揚こそが求めていたものなのです。
つまりサッカーでなくも、大道芸人でアクロバット的な瞬間芸でアッと驚かせて感動させたいという願望が本質的なものなのですが、これを自分で気付くには少々コツがいります。
サッカー選手なのか、卓球選手なのか、それとも大道芸人なのか。
脈々と続く、自己の願望の本質は必ず実現されますが、サッカー選手になれるかどうかはわかりません。
あるときに気付くのです。
映像作家になって、アクロバット的なスピード感ある特殊映像で聴衆を沸かしているとき。
そう自分はテレビの画面に感動的な映像を作りたい人だったと。
サッカーの練習をしていたけれど、なかなか上達しない。
自分の願望はサッカー選手なのに・・・
しかし環境は、サッカーよりも仕事が忙しくなり、ひょんなことで関わったテレビ番組のスタッフから、映像作家的な興味が沸く。マックを駆使して映像を作ると、過去の記憶から感動の断片が生み出される。
日常的な仕事の中で、自己実現が完結していたりするのです。
本質的な願望は、テレビ画面の中で感動的なアクション映像を生み出し、感動を分かち合うことだったのです。
仕事の合間にサッカーを練習して、社会人チームに入れないものかとがんばっていたのですが、サッカーはまた二次的な願望であり、それは努力と時間によって達成されるかもしれませんが、本質的な願望が達成されるように簡単ではないようです。
今、自分が目指してやっていることと、何か日常的なことや、仕事や、人間関係における境遇等に本質的な願望が達成されていないか、達成が近くないか、観察してみてはいかがでしょうか。
本質的な願望は、突然は生れません。幼少の頃から脈々と流れている意識の中にずっと存在しているものの断片的に派生したものです。
欲求の願望ばかりを追いかけていると、それはつまり欲求不満となり、苦痛な日常を繰り返すことになります。本質的な願望を自分は持っていると心に留め、それを静かに観察しながら自分で気付くように意識しましょう。思い通りにいってなくても、いかなくても、自己実現は、一定の満足をもたらします。
そしてうまくコントロールすることで、幸福を得ることも可能となります。

This entry was posted on 水曜日, 1月 6th, 2010 at 8:28 PM and is filed under セルフクエスト. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

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