希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

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山田 昌弘 (著)
基本的にこの書籍のタイトルは厳しいなぁと思う。
自己嫌悪に陥った日本の社会に、第三者的視点で指摘してあげます的な内容なので、現状を客観的に見るにはちょうどいい社会風潮記であると思う。
これを読んで何をどう対処するのかは、やはり自己防衛的な意識を高めるとともに、何に依存してはいけないのか、今の依存関係を問いただす機会として問いただすのもいいかもしれない。


■戦後の社会安定期からの変容
1億総中産階級と言われたきた一般庶民生活もその安定期を終え、バブル崩壊から10年以上経った今、吹きさらし感のある庶民生活がどう変容したのかを、戦後史、職業の変容、家族の変容、教育の変容を端的に解説。そこから2極化されつつある庶民生活を指摘、そして予言している。
中間集団という言葉がでてくる。
この中間集団とは、企業と家族を意味する言葉となっており、戦後安定期においては、この中間集団がなんらかの個人のリスクを吸収する役目を担っていたと解説されている。
ある程度社会保障も難なく運営され、終身雇用や、年功序列的な雇用形態も家族計画を容易にさせ、かつ安心を与えてくれていた。それらに依存すればよかった社会からの一番大きな変容は、その中間集団自体がリスクになるという事態に発展してきている。つまりそれに頼れないので、「自己責任」を重視せざるを得なくなっているということ。
この自己責任という責任を個人に依存する社会になると一見、競争社会が活性化されると解釈されることもあるようだが、その本質は、ばくち的人生の増大を招くことになっていると。
つまり「運だのみ」人生=自己責任ライフ という構図になっていると指摘している。
■希望格差の2極化とは
本書で指摘する2極化(勝ち組み・負け組み)とは、将来に希望の持てる人々と、将来に希望をもてない、もたない人々の差を意味している。この希望というのは、実際には「変容の時代を乗り切れる能力がある」「自己責任を受け入れポジティブに物事を行動する」「運良く健全な中間集団(企業・家族)に属している」といった将来にある程度指針を持てることを指す。
希望が無いとは、「その変容の時代にうまく乗り切れない」「依存できない中間集団(企業・家族)に属している」「依存先を求めつづけている」といった目先の生活に不安を感じることである。
「フリーター」においても、その個人に差はあると思うが、やはり個人事業主や正社員からみるとその収入格差において安心できるとは言いがたい。また「パラサイトシングル」(この言葉は本書の作者が考案したらしい)や「ニート」と呼ばれる比較的安定している中間集団(家族)に属して、目先の危機感を見なくていい立場が存在し増殖している現実からも、その希望感は減少していると感じざるを得ない。
つまり本書の一番の指摘は、このような将来に明るい人とそうでない人に差が大きくなりつつあるという事実である。
■2極化の真意(結婚)
そうなると、結婚して家族を持つという自然な行為がリスクになるのか家庭となるのかはそのパートナー選定にかかってくる事となる。しかし実際はそれも如実に数字に現れているらしく、勝ち組みは勝ち組み同士がペアになる確率がたかく、それらは、DINKS(Double income no Kids)な家庭となる。ただしこれらも現在の離婚率を見ると永続的なものとは言えない。
そしてパートナーのちらかが負け組みであると、その家庭はリスキーになるという構造になるという。つまり負け組みにはパートナーを選定できにくい世の中になっているという厳しい指摘がある。
■2極化の真意(職業)
また社会的能力の向上においては、現代のスピード社会と相まって、現場主義的な風潮も手伝い、やはり現場にいるもののみが能力向上していく傾向が強いという。新しい情報や技術は1極に集中し、競争社会においては、さらに勝ち組みのみによって利益をまわされてしまう構図も存在しているようだ。
■ではどうするべきなのか
真の経済的勝ち組みでない限り、この希望的勝ち組みもそこに留まることには多大な努力が必要である。そこにしがみつくモチベーションをもっていろいろがんばることも出来るけど、真の経済的勝ち組みとの差を考えるとまた違った自己責任のとり方、ライフスタイルを模索する動きもあると指摘する。
それは戦後安定期の象徴である「サラリーマンー主婦方家庭」の離脱ともとれるかもしれない。
新しいライフスタイルの指摘は「年収300万円で生きる経済学」のようなベストセラーになった思想もあれば、内閣府は「生活達人プロジェクト」というものを打ち出し、スローライフやローカルライフといった時間的・精神的にゆとりえを得て生活している新ライフスタイルを紹介したりしているようである。
したがって、本書を読み解くポイントは、現実の状況は真摯に受け止め、自分が何に依存しているのか、また依存しようとがんばっているのかをセルフクエストしたいところである。
■■■ この本のセルフクエスト(自己探求)における視点 ■■■
希望格差の勝ち組みになることは簡単だ。
無意識的に求めている、過去の安定生活に見切りをつけることだ。
まず「希望」を生み出そう。希望とは何か?希望を生み出すにはどうすればいいのか?
精神的図太さがあればいいが、そうでない人はより多くのポジティブな情報集めが必要だ。自分のできることや人間関係、それは資格やキャリアではなく、一個人的に優れた部分を見つけアピールすること。
勝ち組み経済社会は、いつだって人材を欲している。しかしセルフクエストできていないわかりにくい人は、リスクを伴うために採用にはいたらない。
チームを儲けさせ、個人に還元するように企業活動するには、自分のポジショニングを明確に自分で主張しなければならない。
それを行う最初の視点は、この「希望」の所在調べかもしれない。
自分のポジションは何も優れた技術や知識を駆使した高キャリアだけではない。末端のアシスタントにおいても、誰でもいいという時代は終わっている。だから希望をもっているアシスタントを必要とするし、希望を持っている見習を必要とする。
希望的勝ち組みになる最初のテクニック
希望という曖昧なもので、優劣が決められるのかという疑問もあるかもしれないが、本書で言う勝ち組みになることは比較的難しくない。
それは環境に左右されない、発想を持つことで反対に環境を改善できる鍵はどこにでもあると実感しているからだ。
だからセルフクエストで自分ブランドを創るポイントを重視して、取り組めば、勝ち組みフィールドへ属することも簡単なことではないだろうか。
それとライフスタイルの新しい見直しを進めること。何か特に欲しくもない「既存の安定っぽい生活」を求めずに、もっと「理想的」なライフスタイルをこの日本国中から探してみる事もオススメする。
つまり時代は変容している。
子供の頃に育った環境ではない、新しい環境を受け入れる寛容さが必要なのではないだろうか。

This entry was posted on 木曜日, 2月 17th, 2005 at 8:14 PM and is filed under Real, 国際情勢・社会風潮. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

3 Responses to “希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く”

  1. 夜明け前 より:

    格差社会の議論が示す危うさ

    二極化の是正に関する議論が日本でも本格的になりそうです。これ自体は世界の動向とも合致したことですが、十数年前の日本に戻すというような対極的な議論が台頭しているの…

  2. デジ1工担者 より:

    自分が憂慮しているのは努力しない人と弱者を混同しているメディアの現状です。

  3. 共通テーマ より:

    「希望格差社会」

    「パラサイト・シングル」という流行語を生んだ社会学者の「格差社会」についての論考。あなたの感想を聞かせてください。

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