シャンバラ―勇者の道

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チョギャム トゥルンパ (著), 沢西 康史 (翻訳)
チベット密教の世界は一種カルチャラルな趣向も手伝って、さまざまなところで出会うことになると思う。個々最新チベット死者の書を取り巻くさまざまな書籍に出会い、どれもいたく感動的なものが多かった。それらはおいおいまたご紹介させていただくことにして、この勇者への道という本は、とても地味な本ではあるが、結局のところ、チベット仏教から派生した人の営み思想のひとつの到達点のような本であった。
壮大な宗教観とその歴史、そして深遠なる仏陀の真理、そして黄金のビジョン。そんなベールに覆われた印象を持ちつつチベット密教、チベット仏教の世界を垣間見ていたのだが、ここに書かれてあることは、机の上に足を上げないとか、脱いだ服を床に置かないとか、お金は得てから使うという順番があるとか、わたしたちの実生活における、常識的な正しさ、道徳感といったものを重視することがまず第一であると説かれた。


世の中を平和にする勇者であれとするが、その第一条件が、それぞれの生活の営み自体が正しく幸福であることが条件であれうという。身の回りがすさんだままで、環境問題だの、和平問題だの、国家や地球を相手に正義は通りにくい。しかしこの本等に地味な教えの中に見出される視点は、そのように自己が正しく幸福になること自体が周りを豊かに幸福にするのではないだろうかと感じた。
やや理屈的で申し訳けないが、正真正銘の幸福で生きる人の世界では、もはやまわりの環境や和平は、解決されており、というか、そういうふうにしか見えないものなのではないだろうか。
これはこの大都会の中でも、リッチ層と庶民が、すれ違わないのに似ている。同じ街に済みながら、移動手段から出入り口、エレベータ、そして食べるものの流通経路まで、違っているこの世の階層構造そのものに似ているように思う。
直接関係はなくとも、わたしたちは、事故のニュースや殺人の知らせを聞く。虐殺のニュースもあれば、詐欺の手口のドキュメント。これに加えて実際自分たちの生活上の悩み、対人関係の悩み、病気や欝。こういったものは全て自分自身の問題であり、生活自体の乱れが心の乱れであり、実際にそのようなネガティブな境遇や情報を目の当たりにしてしまう層に住んでいるからであろう。
この本では、おそらく、そういう層から上昇するための本当にシンプルで誰でもできる、そして誰でも知っている方法を説いてくださっている。それを実践した後に、生きる階層では、おそらく、見ているニュースも違っているように思う。
神秘的な魅力に惑わされること無く、本当にリアルな生活自体の階層をあげる方法として、この絶版なる本は、ゆるやかに人々に手を渡り続けているように思う。

This entry was posted on 金曜日, 10月 24th, 2008 at 12:04 AM and is filed under Mental, ミスティック. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.

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