ロハス系の矛盾

ロハスというマーケティングテーマは、簡単に言うと、地球や自分に優しい商品を2割~5割のコストプレミアムをもって、選択してください!ということだ。
デフレになっていく世の中に逆流して、価格アップを図るための施策でもある。
しかしその商品によっては、価格相応の価値があって、環境や生体にいいものもあるのでこのロハス マーケティング自体は悪くもなく正当なものであると思う。 が、、


そんなことを想いつつ、ロハスな商品とやらを物色してみても、実際に魅力的に思うものがなく困る。これは百貨店やオンラインサイト等で見ていたのだが、このコストプレミアムをもって高価値に位置付けられた商品たちは、やっぱ過剰に高級品な雰囲気がする。
ロハス系ライフスタイルを志していると、そのモノを入手するという手段に、貨幣で交換する(買う)という行為と、自分で作り出すという行為が大きくバランスを取る。
そうすると高級品に位置付けられた商品は、いわゆるお金持ちのための商品となりえている。
また流通という過程を経ている以上、本当にそれが安全なのかは、中国産野菜と同じレベルで疑わしいものがある。
この誰かの手を回る回数を極力少なくすることが安心へと繋がると思うのだけど、流通のスタイルがロハスにならないと、商品価値自体も疑わしくなった。
しかし、いいものは高いというのは、ごくあたりまえの解釈なので、そこに文句を言う筋合いはないのだけど、ロハス コンセプトを深く追求すると、高次元で経済活動をまわさないと、ロハス ライフスタイルは築けないのか??と思わざるを得ない。
どうせ買うなら、ロハス系を・・・
どうせ高いものを買うなら、ロハス系を・・・
に加えて、
どうせ高くて買わないのら、ロハス系で・・・
それを買うのだったら、ロハス系で・・・
という非商業主義な選択枝を加えたい気がする。
なぜならロハスなモノというのは、先にも書いたとおり「買う」という手段ではなく、「自分で作り出す」という選択枝が存在するからだ。
自分で作り出すという意味は、
その仕組みや構造に生活と関わる意味を理解する。
その作る過程を楽しみ、知恵を蓄える。
作り出したモノに深い愛着を持つ。
というロハス的な意味を持つからだ。
人は商品を買うことに飽きている。
ものをつくるとか、何かを体験するという行為がもっとロハス系であると思う。
そのことが本当の生命や自然、そして無駄とか無理というものに気付き、根本的なロハス系コンセプトを理解していくわけだ。
なので、
「買う」のか「つくる」のか、という選択枝を持つことがロハス的なマインドの第一歩だ。
「買ったほうが安い」ではなく、「つくったほうが楽しい」であり、
「不必要なモノ」を見分ける目をもつことが、「つくる」時間や「つくる」意欲を確保するために必要だ。
そして「自分でできる可能性」を広げること。これはテクニックの前に、そう思ってみることが肝心で、「つくりかた」を知らないとなんでも「できない」と感じてしまうのは、ロハス的でない。一度なんらかの方法で理解しようと試みると、意外といろんなものは自分でできてしまうことに気付くだろう。
最近も僕は、家は自分で建てれるものだと、思えてきた。
そういう先人がたくさんいたからだ。
ここで書いたことは「モノ」に焦点を当てているが、
サービスに関しては「してもらう」から「自分でできるようになる」に読み替えれていただければいいかもしれない。

This entry was posted on 月曜日, 10月 10th, 2005 at 1:45 AM and is filed under カルチャークリエイティブ, 社会風潮. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.

3 Responses to “ロハス系の矛盾”

  1. anju より:

    わたしも、世に言うLOHASに、なんか、矛盾を感じる

  2. 伸さん こんにちは ロハスのとらえ方 その通りだと思います。買うから作るへ 受けるから与えるへ。
    ここから心地よい暮らしが始まるのでしょう。
    1度講演を安曇野パーマカルチャー塾でお願いしますね。
    楽しみです。

  3. syn より:

    ケンさん、毎度お世話になってます。
    こ、講演!?ケンさんのようにスケベな話は得意じゃないのであまり面白くないと思いますよ!